独立の時

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大勝建設 樋口義征会長

2009年8月13日

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18歳から様々な職を転々…異色の職歴が独自の工務店経営につながる

大勝建設(東京都北区)
樋口義征会長

原価と利益を分離し、施主に公開するマニフェスト住宅という独自の手法で成長を続ける大勝建設(東京都北区)。ユニークなビジネスモデルを次々と生み出す樋口義征会長の経歴もかなりユニークなものだ。

18で駆け落ち、父に勘当される
小中高と18まで野球一筋の人生。高3の夏に甲子園予選が終わり、大学受験の準備をしていたが、思わぬ方向に樋口会長の人生は走り出す??。

「私は18まで野球一筋に打ち込んでいました。高校もいわゆる野球の強豪校だったのですが、最後の夏の甲子園予選はまさかの2回戦敗退。大学進学のために、勉強を始めた頃、8歳年上の女性と知り合い、恋に落ちてしまいました。野球ばかりで女性への免疫なんかありませんから、のめり込んでしまい、親からの反対もあって2人で駆け落ちしてしまいます。父親からは勘当されました」

「そのまま結婚していたら美談にもなるんでしょうが、私はすぐに別れてしまいました。父には勘当され、食うために仕事を選ばず、様々な職に就きました。一番最初にやったのが洋食の調理師見習い。家庭教師派遣センターの営業、家電製品の営業、クラブの黒服、モデルなど挙げていたらききがないくらいの職を短期間に経験しました」

「不動産業界に入ったのは平成元年のことですから、私が21歳のときのことです。不動産業界のノウハウを学び、経験を積んで平成7年に父と和解をしました。事業を行っていた父が持つ休眠会社の大勝建設を買い取って独立しました」


1億円の借金付きだった大勝建設
不動産業界での経験を積み、父の持っていた休眠会社を買い取り独立を果たす。が、その大勝建設は1億円の借金のある会社だった??。

「父の持っていたペーパーカンパニーの大勝建設は従業員なしで資産もなし、借金が1億円ある会社でした。今思えば、普通に独立していた方が楽だったかもしれません。既にバブルは弾け、不動産は悪くなってきていましたが、そうした状況の中で不動産事業を展開して利益を上げていきました」

「しかし、不動産業という仕事に疲れてきていたのも事実です。分譲を行うのはリスクも大きく、売れなければ何も残らない仕事です。不動産事業の割合を減らしながら、建築を行なう会社に大勝建設を変えていきました」

この続きは工務店新聞8月10日号をご覧ください。

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